サンクスギビングと地蔵

サンクスギビングデイは、農作物の作り方を教えてくれて飢え死にから救ってくれたり、動物を取ってきてプレゼントしてくれたりしたネイティブアメリカンよありがとう、という日ですが、人間にとって「食べものもらったことへの感謝」というのは非常に大きいのですね。「食べ物の恨み」の反対です。
学生時代に「比較神話学」という講座を取っていたけど、同じノリで、サンクスギビングと原型的なものが共通する日本の話は何かないか、と考えたら、それは「かさこじぞう」ではないかと思いつきました。お正月を目前にして食べ物が何もないビンボ夫婦のところにお地蔵様の一隊がじょいやさじょいやさという掛け声とともに大量の食べ物を運んできてくれる、という奇蹟――こちらは無論フィクションですが、これも一種の食べ物感謝ばなしでしょう。原住民が侵略者への無償の愛をもたらしてくれた話ほど、ひねりはありませんが…。まあ、時期的に年末っぽい話なのでサンクスギビングと合わなくはない。異界との交流もあるし。
でも、この話を精神医学っぽい側面から見ると、老夫婦は飢餓のあまり、お地蔵さんが生きて動いて食べ物デリバリーをしてくれるという「幻覚」を見たのである、これは統合失調症の初期症状である、などと考察できるかも。その点では「マッチ売りの少女」が最後に寒さと飢えの中、ごちそうの夢を見ながら死んでいく(死ぬんだったか?詳細は自信がありません)話により近いと言えるかもしれません。昔「オルタード・ステイツ」という題の映画があったけれど、まさしく変成意識です。極限状態だと、ケミカル要らずでトリップするのだという…。
今思い出したけど、おじいさんとおばあさんは、餅代がなくてお餅つきもできないので、せめて景気づけに音だけでもと、いろりの縁か何かを叩いて「エア餅つき」みたいなことをしていた、と絵本に書いてあったような記憶がある(不確かな記憶ですが)。規則的なビートを聞き続けることによって、変成意識状態に入った(トリップするための原始的儀式でよく使う手だ)のだという説明が成り立つ! この話、意外とフィクションではなく、実話というか実際のトリップばなしだったのかもしれない、という気もしてきた!
食の豊かさ享受と酩酊の儀式は、日本では「忘年会」という世俗化した形で十二分に流布しているけれど、ときどきは「幻覚を見るほど飢餓状態の人」のことを考えるのもまたよいのではないでしょうか。(文=目黒条