やっぱり総括しなくては

自分でもこんなに引きずると思っていなかったマイケル・ジャクソンの死。今日になってもまだ引きずっているので、思ったことをここにメモでもしておけば、先に進めるかなと思いました。
彼の死は、マリリン・モンローの死に近い大事件だったのだと思うけれど、モンローの死なんてわたしが生まれる前なので、実は、アメリカンポップカルチャーの巨星の急逝(しかも自分がリアルタイムで知っている人の)ということをわたしは初めて体験したのだなあ、としみじみ感じている。
といっても、別にわたしは音楽的にマイケル・ジャクソンが凄く大好きというわけでもなかった。MTV時代には「そんな大衆的なものじゃなくてわたしはクレプスキュールとかが好きなのだ」と思っていたし、「せめてマイケル・ジャクソンじゃなくてプリンスを支持しよう」みたいなことを言う風潮がわたしの周辺にはあった。けれども、プレゼンスとしてのマイケルに興味がないわけがないし、横目で見ないはずがない。影響を受けてないはずがない。
それ以前の時代に残っていたジェームズ・ボンド的なマッチョ主義(男はがんがんタバコ吸ってがんがん酒飲んでセクシーな女連れてなんぼよ、という価値観)の尻尾というのを、マイケルは完全に消し去った人だと思う。ゲイカルチャーが表に出てきた時代でもあったし、アンドロジナスな魅力というのが商品価値を持って普通に流通するようになった(普通に、というのは、グラムロックみたいな「反抗」「アンチテーゼ」という感覚なしに、ってこと)最初の時代において、マイケルのピーターパンキャラクターは特に印象的だった。このあたりが青春時代だった人たちの中には、それ以前のマッチョ主義も知ってるけどこの時代のインパクトも喰らって、性的価値観のコンパスがグルグル回りだしてなんだかわからなくなってしまった、という人が結構いると思う(わたしがそうだという話ではなく)。そういう意味では、彼は、その後のジェンダー迷走時代の火付け役だったと言えるかもしれない。マドンナもそうだけど、「セクシャルレボリューションのあとの、まだやるかダメ押しセクシャルレボリューション」現象だったわけだ。
そのようなことを無限にグルグル考えつつ、でも単純素朴に、マイケルが亡くなった直後にアポロシアターの前に集ってロック・ウィズ・ユーを歌い踊っているニューヨーカーたちの映像を見ながら「いいなーあそこに参加したいなー」と思っているわたしもいて……それがどういうことかまた考えてみるのだけど、要するに、まだ単なる「黒人R&Bシンガー」だった頃のマイケルが一番よかったのかも、と思わせるということ。『ロック・ウィズ・ユー』のポコポッポポッポポという伴奏を聴くとなぜか泣きそうになってしまうのは、その頃はまだMTV時代の狂騒も何も始まっていなくて、幸せで平和だったねーマイケル、と思えるからなのだ。その後生まれた、彼にとっては大変な重労働であるところのダンス満載方式のショーを、今度のロンドンで別に再現しなくてもよかったんではないだろうか。突っ立ったまま、軽くステップでも踏んでピースフルに『ロック・ウィズ・ユー』歌ってくれれば、それでもきっと、ファンは十分大喜びだったんだよマイケル。しかし、芸歴四十五年で並外れたプロフェッショナル根性を持つ彼が、そんなことで妥協できるわけがなかった。そこが悲劇だった。(文=目黒条