MJメモ

なんでもビッグなことが好きなアメリカは、ショービジネスの犠牲になりビッグに壊れてしまった人の、スケールの大きい壊れ方もまたエンターテインメントとして消費してしまう。エルビスしかり、ジュディ・ガーランドしかり…。
まだマイケルが「成長したちびっこシンガーであるところの、ブラックミュージシャン」というカテゴリーの中で歌い踊ってた頃の、整形前の映像を見ていると、なんとも悲しくなる。その頃にはまだ何も始まっていなかったのかというと、もうとっくに不吉なことは始まっていたのだけれど…。
しかし、彼は単なる被虐待の症例ではなく、「トラウマティック・モチベーション」を音楽表現や自己プレゼンスの表現のために最大限に使った人だ。誰かを本気で愛するとか、まともな家庭を作るとか、そういうことは全くできなくて完全に失敗してしまったのだと思うが、私的な幸福と引き換えに、世界のポップアイコンとなった。「壊れ方」の犯罪性はさておき、表現者としては究極まで行った人生だった。
今、ハーモニー・コリン監督の映画『Mister Lonely』を見ると絶対胸にしみると思います。(文=目黒条