寛容のオルギア

ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』Orgy of Toleranceを拝見。このタイトル、わたしだったら『乱痴気我慢大会』と訳すかなあ、と思って見に行ったら、まさしく「乱痴気我慢大会」という内容の作品だった。(ただし、わたしがもし劇場の人でも、やはり『寛容のオルギア』というカッコいい方を採用しましょうと言うと思いますが。)がまん大会とは何か、わたしなりに説明すると、「世界とは、消費という名のイカないプレイの舞台である」というようなこと。
ここまで読んで、ある種の性的変態の人とか、ボードリヤールの好きな人とかが間違って反応してしまうかもしれませんが(前者は「がまん大会」という言葉に、後者は「消費」という言葉に)、この作品は残念ながら、そのどちらの期待にも応えません。もっと程度の高いものなのである!芸術の世界基準は今ここまで行って(イって?)いるのである! コンテンポラリーダンスの中でも、テキスト的(文学的)要素か視覚的要素かコレオグラフィーか、どこか一点に偏って頑張っているものなら他にもたくさんあると思うけど、総合的に凄いのは、今ヤン・ファーブルと、他にいくつかしかないと思う。やられたよ! 凄いよ! としか言いようがないです。マイケル・ジャクソンが死んだ日に見た作品ということで、わたしの頭の中にしっかりと刻みこまれた気がする。(中で、今日バージョンの即興だろうと思うけど、女性がムーンウォークやってましたが、それはあんまりうまくなかった。わたしもうまくないですけど。…マイケル急死、という日本語のスポーツ新聞を裸の上に服として?貼ってるダンサーの人もいた。)
大人の芸術とはこれだ、というものを、子供の国日本で見られる稀なチャンスですので、是非是非見てください。日曜までやっているそうです。
ただし、コンテンポラリー「ダンス」として見たい人たちに言っておきますが、踊る場面はあまりありません。まあ、そういう次元のものではないということで、Be tolerant!(文=目黒条