顔面認知の文化ギャップ

日本人は、メールなんかで使う「顔文字」に、顔の輪郭をかっこ( )で付けることが非常に多いけれど、西洋人の使うエモーティコンは、目や口などのパーツしか表現しないことがほとんど。この違いはなんだろうと、以前から思っていた。もっとも外国人友達で絵文字を乱発してくる知り合いは少なく(私もそうだけど日本人でも西洋人でも、著述関係の人間はあまり絵文字使いません)、よってサンプルが少なくて詳しくは知らないんだけど、:)こういうやつ。半角で90度ひっくり返っているからパーレンが顔の輪郭にならないんだ、とかいうのは、あまり説明にならない気がする。他の表現方法もいろいろあるでしょうから。
で、突然気づいのが、西洋人は会話の時に相手の目をしっかり見て話す習慣があるので、人の顔を主にパーツで認知しているのではないだろうか?ということ。だから、エモーティコンには「輪郭」はない。一方、日本人というのは、おそらくそんなに人の顔をぎゅっと凝縮して見ていなくて、もう少し「引いた」ところで見ている。だから、顔といえば輪郭が入る。どうでしょう、この説は。いかにも正しそうではないですか?
だとすると、日本人は、大枠とか、全体像を見るタイプの国民なんだということが言えるかもしれない。そこでわたしが日ごろ提唱していた「木を見ないで森を見ろ」理論がますます力を得ることになる!
それは何かというと、年齢がすすむと、顔面の、目尻とかたかだか一センチ未満ぐらいの狭い面積のことをグチャグチャ気にして、高い化粧品を買い込むような愚挙に出たりしがちだけれど、もっと大きい面積〜すなわち全身の筋肉とか〜から改造していった方が効果的に見た目を向上できるのでは?ということ。木を見て森を見ない態度はいけないよ、と。これを最近、わたしは同年代の友人とかにやたらと力説していたのだけれど、「引いて見る」日本人にはやはりこれは非常に有効だということでしょう。(他人に力説してないで、まず自分で実践しろよ、なのですが。)
ひるがえって考えると、西洋人をターゲットにするなら、「ここが自慢」というポイントを局所的にフォーカスする方が有利なのかも。何も外見に限った話ではなく、知的レベルのことも全部含めて、です。(文=目黒条