セカンド・チャンスの話

だいぶ前にある詩人の方がエッセイで「百円ショップのダイ○ーに文学シリーズという文庫本があるのをみつけ、漱石とかを喜んで買っている」と書いておられた。それを読んで、文学も百均なのか!と呆れ半分の複雑な思いだったが、ライツ倫理うんぬんより文学愛と好奇心が勝って(この詩人の方もそうなのでしょうが)、ちょっと前にダ○ソーを覗いてみた。そうしたら確かにそのシリーズは存在していて「菊池寛」の巻が目に入り、「そういえばわたしは『父帰る』を実際読んだことはあるのか?ないだろう?」と自問した挙句、購入した。予想どおり文庫本としての体裁はひどいのだけど、読まないよりは読む方がましなので有難いじゃないか、と受けとめることに。
そして昨日、なにかの拍子に急に、シェークスピアの『冬物語』のハーマイオニの銅像が人間になってよみがえる、というストーリーは、『父帰る』と同じセカンドチャンスの話なんだ!というひらめきに打たれた。(かのプレスティジャスな某出版社さんのラウンジには創業者である菊池寛様の銅像があって、そこからの連想なのかもしれないけれど?)わたしとしてはかなり興奮させられる発見で、右にタイトル金文字のThe Complete Works of William Shakespeare(←職業柄、書斎の置き薬。ときどき貪り食うので「常備菜」?)、左に安っぽいペラペラの○イソー版文庫「菊池寛」を置いて、右、左、右、左と読み耽っていた。昨夜そんな奇天烈な読書をしていた人間は、広い世界の中でもわたし一人しかいなかっただろう(ゆうべに限らず常にいない?)と思うのだが、この発見をどう育てていけるかとかなりハイになっている。比較文学論的アプローチでは全然なく、むしろ巫女っぽい機能を使ってこういうことをやっています。(文=目黒条)