wet体質

 いぜん訳したポリー・ホーヴァートの本で、主人公の少年が自分が「怒ってる」というのを難しく言おうとして知ったかぶりし、「bilious」という言葉を使ってみて大人たちに笑われる、というのがあった。biliousというのは怒りっぽいとか気難しい、という意味ですが、もともとは「胆汁質」ということで、英語にはこういうヒポクラテスだ何だみたいな、いにしえの感覚が今も息づいているところが興味ぶかい。
 その昔に教科書に出てきたクレッチマーだかヒポクラテスだかの四大体質分類?みたいなもの――胆汁質とか多血質とか…には確かそれぞれhot&dry(熱にして乾)とかhot&wetとか、そういう観念がくっついていたんだと思う。で、以前はわたしは自分のことを性格的にかなりdryな人間だと思ってたのだが、最近になって「なんだか実はwetな人間らしい…」ということに気づいてきた。どうやらたぶん、cold&wet。
 ウェットである証拠なのかどうなのかは知らないけれど、雨の日は非常に調子よく仕事をしているのに、今日のように急に晴天になると能率が落ちてもう全然駄目、ということに気づいた。太陽の光が苦手なのは、「UVが怖い」というのだけが理由ではなかったのでしょう、たぶん。わたしは湿気を含んでいることが大事なのに太陽で干あがらせないで!乾燥させないで!という感じか。
 先にあげた分類法的な昔の西洋医学だと、ドライ体質の人にはウェット性を補ってバランスとって健康にしよう、というような考え方をするのだと思う。この伝でいくと、ウェットな人は少し乾燥してやるとバランスのとれた正しい人間になる、ということなのでしょうが、わたしの場合は、真人間になってしまったらたぶんクリエイティビティの危機だと本能的に思っているので、乾燥させる力に激しく抵抗してしまうのでしょう。でもクローゼットの中が湿気るのは大嫌いなので、ドライペットを狂ったように大量に入れている(結果としてお水が見えるという「達成感」を感じさせる商品ですよね。わたしはあれが本当に好き!)。矛盾した行動のように思えるけれど、要は湿気や梅雨に執着し、湿気や梅雨というものが好きな人間だった、ということ。自分でも意外ながら。(文=目黒条