横浜満足記

 やっと回顧展に行ってきた(ひとつ前の日記参照)。改めて思ったのは、こんなに膨大な仕事がすべて、原稿用紙にカリカリと一文字一文字手書きで書く、という方法でなされたものだなんて凄い!ということ。ワード世代の物書きの半数は、もしも「同じことを全部手書きでやりなさい」と言われたなら完全にへたばってしまうだろう。
 ほんとはもっとさまざまなことを思ったのですが、あまりに微細に入りすぎてここに全部は書ききれません。ひとつだけメモしておくと、先行世代が老いてきた今、「シブサワさんって誰?」という世代よりはなんぼか知識がある私の世代が語り部にならなきゃいけないのかもしれない、と急に自覚しました。
 見学のあとホテルニューグランドのカフェレストランでハンバーグを食べながら、親から「昔は、ここの窓の向こうから『いま何時ですか〜!』と見知らぬ人によく訊かれた」つまり昔の人は必ずしも腕時計を持っていなくて、しょっちゅう他人に時刻を訊いていたんだ、という話を聞く。あと特に、女性は、ある時代までは腕時計などしないものと決まっていたので、時刻というのは必ず他人に訊いていたんだそう。わたしはここで「ジェンダージェンダー!」と叫んでから、そういえばパリのカフェで、かなり年とったおばあさんに「何時ですか?」と訊かれたことがあったなあ、と急に思い出した。イレ○heuresエドゥミとか答えながら、なんかすごい初級教科書みたいな場面だな、と苦笑した覚えがあるけど、いま考えたらあのおばあさんは腕時計なんか持たない主義だったのかもしれない。
 あと、話したのが、うちの近所はグラフィティが多いので、○○警察署が「落書きをやって満足自分だけ」という標語を掲げていたけど、その標語を見るとかえって「落書きってそんなに満足できるのか〜。それで『自分だけ』の問題で済んじゃうのか。だったら是非ともやってみたい!」という気持ちになってしまうような…という話。で、そこから「○○をやって満足自分だけ」の○○のところにいろいろ当てはめると何でも成立しちゃうよね、という話になって、そこにいろいろな語を入れて盛り上がった。どんな単語を入れたかは、不謹慎すぎてここには書けません。
 しかし「落書きをやって満足…」という標語を作ってしまう深層には、「芸術をやって満足自分だけ」と言ってしまいかねない、つまり、社会の人々と手をとりあって平均的な小市民として生きることこそが、それだけが重要なのである、という心理が隠れている。そういう価値観は依然根強いのだ、ということは理解しておかなければならない。(文=目黒条