澁澤龍彦について思う朝

 新聞をまだとってないので、朝起きてすぐ読むものがない。(そう書くと今後取るつもりみたいですが、うちのそばのセブンイレブンジャパンタイムズは買えることがわかり、だったらあとは国内ニュースは「あらたにす」とかで十分かという気も…。どうしましょう?)
 そこでこのところ、モーニング・コーヒーの友として、新聞の代わりに、父が持ってきてくれた「澁澤龍彦回顧展」の図録を毎朝見ている。この回顧展は、神奈川近代文学館で開催中、六月八日までだそうで、わたしは家族と共に今週末にでも行こうかという予定にしているが、まずは図録に夢中。
 父は、澁澤さん鎌倉時代の仲間――レイモン・クノーの『聖グラングラン祭』という本を澁澤さんから巻き上げたり、一緒に同人誌をやったりした人――という登場人物として、今回の比較的初期の部分で紹介されている。
 図録を見ると、いろいろと懐かしく、また刺激的でもあり、興味がつきない。すごく小さいときに親に澁澤さんの家に連れていってもらったことがあって、グリーンのボウリング用ボールを持たせてもらったことを今でもはっきりと覚えている。そのとき上り下りした幅の狭い階段が写っている自宅の写真も、ちゃんと図録に掲載されていて、まるで夢のようだ。それより前だったかもしれないけど、矢川さんが、ご自分が持ってたバラの花のハンカチをわたしに下さったこともあった。すごく素敵なハンカチだった。
 わたしが澁澤さんの著作を読んだり本当の偉大さを認識したりし始めたのは、その時代からずっとあとの話なのだが、「本人を知っています」とか言うのもネーム・ドロッパーっぽくて恥ずかしい気がして、周囲にいたディレッタントみたいなお友達が「澁澤澁澤」とかって馴れ馴れしく口走っているのを、ただ黙って聞いていた。
 しかし、時代の流行として澁澤熱に浮かされていた人々より遙かに長きにわたって、そして文学からシュールレアリスムからオカルトまでと非常な多ジャンルにわたって、わたしは澁澤さんから多大な影響を受けたといえるだろう。
 図録の後半には、土方巽さんや舞踏の写真も出てくる。私が劇場勤めしていた時代に、S海塾のA児さん(って別に伏字にする必要はないのですが、なんとなく恐れ多くて)と知り合う機会を得て、土方さんの話はまたA児さんからもいろいろお聞きすることができた。考えてみたら、ものすごく贅沢な経験ばかりしています。
 私も結局、文学だの翻訳だのというのを生業にすることになってしまったけれど、ここまで来る間にいろいろな芸術家にいろいろ教えられてきたことだなあ、と感慨に耽っていたら、そのおりもおり、S海塾から連絡があって、短い仏文和訳の依頼をいただき、驚愕。そして、久しぶりに仏文学者気分?にさせていただきました。なんだかすべてのことが繋がっている!!(文=目黒条