本を手放す基準

 引越し荷物を作る際、書籍の梱包がいちばん危険だ。ページを広げずに黙々と箱に入れてしまえば数分で済むところを、「荷物を減らさなきゃ」というんで持っていく価値があるかどうか評価をかけようとする、この部分がいけない。本を広げたら最後、荷造りの時間は、即刻「立ち読みタイム」に化ける。ひどい場合は、腰を据えた読書の時間にまで化けてしまう。きのうなんか、「ノーマン・メイラー講読・研究の時間」に化けて、荷造りはまったくもって停止、読書でほぼ半日が潰れてしまうという最悪のパターンに陥った。激しく反省。
 しかし、ネコに向かって「これから、棚の中にいっぱい入ったカツオ節を箱に詰める作業をしてもらいますけど、絶対食べちゃだめですよ」とかいくら言ったって、結局ネコは食べてしまうに決まっている。それと同じで、わたしは本読み中毒なんだから、そんなものはズバリ、読むだろう。しかし、そういうことを言って開き直っていても誰も助けてくれないし、本気で荷造りが間に合わなくなるので、この際アイマスクをして箱に詰めていけばいいんじゃないか、と真面目に考えました。手探りで行う不自由な作業になったとしても、読みふけって作業が止まるよりはましではないか、と。
 本当は本を捨てるなんて大嫌いなのだけど、広い部屋に住めるわけでもないのだから、仕事柄たまりにたまった書籍を全部持って歩くわけにはいかない。で、一部は泣く泣く処分するのだが、その基準が自分の中ではっきりしてきた。「泣く泣く処分」ののち、「やっぱりあれが読みたい!」と発作的に思ったとしても再度買えるものなら、捨てても傷は浅い。そういう新しくメジャーな本は、思い切って捨てる(このごろはブッ○オフをひどく憎んでいるので、いっそ捨ててしまう。○ックオフに出して著者に一文も落ちないならそれは資源ゴミにした方がまだ浮かばれるというもの)。しかし、絶版になって久しいようなもの、図書館なんかに絶対ないような本は、今捨てたら二度と手に入らない。だから持っていく。…という要領で取捨選択していくと、いつしか書棚が「文化財保存」ぽい感じになっていきます。ブック○フ的な「新しくてきれいな本ならよし」という価値観とは正反対の価値観!
 しかし自分も著書や訳書を出している人間なのに上のようなことを書くと、「本を捨てる」という罪においてカルマ返しが待っていそうな気がして怖い。「目黒条の目」読者の皆様、わたしの本は捨てないでくださいよ、お願いしますよ! 上の基準に照らせば、いつでもまた買える本ではないような気もするし?(文=目黒条