春の香り?

 三月。いろいろな意味で年度の辻褄を合わせようと必死の目黒です。
 最近定期的にうちの玄関先に配送にくるお兄さん、というか男性配達員(宅配ではないが具体名あげると迷惑なので詳述を避ける)、どう見ても35歳以下ではないのに、突拍子もないグリーンノート系の安っぽい香りを放っている。その香りはないだろう!いくらなんでもそれはないだろう!うちの玄関でその香りをさせないでよ!といつも内心憤っている。本人は「汗臭いより爽やかな方が…」と思っておられるのでしょうが、グリーンノートとかシトラスとか爽やか系の香りって、十八歳以下の女子以外はやらない方がいいです。もしかしたら十五歳以下かも。「わたし基本は無臭です、まだ性的に未分化でほとんど植物に近い状態です」という者のみに許される香りだ。
 ベースとなる自分の体臭と香水が混ざり合った状態になって初めて自分の香り完成、という西洋人の基本が日本人にはいまひとつ理解されていなくて――というのは、日本人はまめに入浴していて実のところ体臭なんてベーシックにないものだから、ゼロの状態の上から「着用する」ものだと思っている――でも、それは何かが違う気がします。
 自分が本来持っているものと全然関係ない香りをつけて滑稽になってる配達員のお兄さん(おじさん?)の失敗見て、わが振り直せ、だ。まだ生物としてはっきり出来上がっていなかった十代の頃を過ぎ、動物的にも社会的にもいろいろな背景を持つようになってきた大人は、自分が実際に体内に持っているそうした「香り」になるべく近い香りを上手に身にまとうべき。
 ファッションは「記号」だけど、香りは記号ではない。その香りの分子を他人の体内に取り込ませ、自分が誰かをわからせようと身体メディアを通してシグナルを送っているわけだ。ほんと、小説そっくりです。自分の本質にない香りを俄か仕込みで身につけても、それは変だし、チグハグだし、何も伝わらなくて無意味。むしろ、既製品の○○系というジャンルを越えた、自分成分を強烈に前面に出し、ほとんど悪臭すれすれぐらいな感じでいった方が(賛否両論で評価は分かれるとしても)伝えるべき人にはガーンと伝わると思う。その代わり、その香りが嫌いな人は半径数メートル以内にはもう寄ってこない、ということになるけど、望むところだ、これが嫌いな奴は来るな、と、あとはもう開き直る! ちょっと待って、それではファシズムとかサタニズムっぽい雰囲気が、という気もしますが、万人に好感を持たれようとして、安っぽい爽やかさを振りまいてしまう「市民運動的ノリ」?よりはましかと、フォーマットとしては前者とる。(文=目黒条