ラリー・クラーク!

 「ラリー・クラーク パンク・ピカソ展」が10月1日に青山のワタリウムでオープンした。初日にはオープングイベントがあってご本人ほか豪華キャストが出たらしいけど、まあわたしはそういうのを追いかける年でもないんで、きのうの昼間にひっそりと展示だけ見てまいりました。『KIDS』も『BULLY ブリー』も『ケン・パーク』も面白く観たわたしにとっては大変興味深い。特に『ブリー』は、暴力とセックスしかない無気力感の中にもマクドナーの『ウィー・トーマス』(拙訳。去年パルコ劇場で上演)に似た馬鹿っぽい味があって大好きだったのだ。
 手紙とか新聞・雑誌の記事がいっぱい展示してあって、読みも読んだり、約一時間読みっぱなし! これでアメリカでのラリー・クラークの評判をおおよそ把握できたような気がする。ラリー・クラークがスクラップした、自分が興味ある犯罪の記事だとか、そういうインスピレーション源も展示してあって、そっちは読み飛ばしたけど、文字中毒のわたしにとって嬉しいヴォリュームのある展示だった。もちろん写真などもあり。ラリー・クラークはもともと写真家で、70年代に写真集を出したんだけど、内容はドラッグ、セックスびたりの若者(含む本人)の生態で、それがアメリカでは「国からの助成金をもらって出した写真集がこんな反道徳的なものとは何事か!」というような非難を結構浴びたらしい。あと、その後に銃の不法所持で逮捕されたのもまずかった。それで、九十年代には自らスケボーやってストリートで子供たちと仲良しになって(ハーモニー・コリンもそうやって拾ったそうだ)ティーンエイジセックスしまくり映画を撮ってしまうのだから、もう悪名高さも超ド級で、彼にくらべたらアラーキーなんか品行方正な貴公子に見えてしまう。まあ最近はラリーさんもドラッグからの脱却をはかっているらしい(ドラッグなんとかアノニマスみたいなのの更正プログラムも展示されてた)ので許してあげてよ、ってとこか。しかし、そもそも芸術とはドラッグの是非などとはぜんぜん別の次元にあるものだ。「ティーンエイジャーの無軌道なセックスを描いて、それであなたのメッセージは?」みたいな馬鹿な質問をしてはいけない。メッセージも教訓も何もないのだ。ただトラッシュ少年たちがいるという現実をそのまま表現しただけなのだ。(文=目黒条