シラノ

新国で、鈴木忠志さん演出の「シラノ・ド・ベルジュラック」を拝見。シラノが「喬三」という名前の日本人になっており、これは当日配布の演出家によるエセーによれば「明治維新以来、西洋文化に憧れすぎたために自らの居場所を見失い、虚しいミスマッチともいうべき文化活動を続けてきた日本人」の姿であるとのこと。(悲しいけれど)なんと冴えわたる、わくわくするような解釈でしょう! 戯作者喬三の芝居=劇中劇のような感じで皮肉な三角関係が展開するという、本当に理知的な演出でした。ここまで踏み込んで理解・消化→展開・表出してこそ世界的演出家というものだ、とたいへんに感動。
エドモン・ロスタンの「シラノ…」に関して日本人は一般的に「外見の美醜を超えた精神の美しさは大事ですね」的なとらえ方をしがちなようだけれど、シラノってそんなに道徳的な話ではないぞとわたしは前から思っていた。…ので、こういう演出なら心の底から納得です。もともと、フランスの観客が名調子に大喜び!って感じの芝居として有名になったのでしょうけど、ポエジー至上主義というのは、とても自意識過剰で残酷な側面をも持っているような気がします。で、それこそが面白さの元なわけです。なにしろ不細工コンプレックスの男が、自分の文章力で他人をマリオネットのように動かしてやる!と思って実行してしまう陰惨な話ですから。(文=目黒条