無料コンテンツ化する文化、しかし…

映画も音楽も「無料で手に入るものたくさんあるでしょ? 金払ったりなんかするもんか」という海賊版時代の潮流に脅かされている。本に関しても、「お金出して買うのは、誰もが買う大ベストセラーというものを、年間一冊だけ」などというのが日本の庶民のスタンダードになってきつつあるようだ。
文化なんて、基本は無料?! ――「ファイルをシェア」ってそりゃ泥棒でしょう、受け手がお布施を払ってくれないと、作り手は創作ができません、という当たり前の理屈も、もう通用しないらしいです。
本に関して言えば、海賊版とは別の話だけれど、和書版のkindleとか入ってきたら、たった一握りのベストセラー作家以外にとっては著しく不利、という恐ろしい時代になるのでしょう。
文化で生き残ることイコール「ニッチ探し」みたいな事態に、世界中でなってきている。しかし、わたしの予測では、モノとしての紙の本は無くなりはしないだろう、ということになっています。
蔵書を持つということは、要するに所蔵スペース=居住面積の問題になってきている。だから「一部富裕層」に向けた、「限定800部・リトグラフ付美装版」みたいなでっかい本などは逆に売れるだろうし、たとえ大衆向けに百万部を売る作家さんでも、そういうマニアックな味付けの(単価の高い)本に可能性を見出す時代が来るだろうと思う。言い換えれば、「マテリアルとしての本へのフェティシズム」に訴えるのが大事な時代になる、ということ。(文=目黒条