深い声

文化というのは、貯蔵庫の中に眠っているものではなくて、生きている人の態度や立ち居振る舞い、話す言葉の中にあるのだ、と急に実感。
そう思ったのは、「江戸風」な感じで腹式呼吸で喋る、多少年配の方に出会ったからだ。お腹の底からよく響く、しかも、ちょっと鼻にかかった声で話す人――昔は、こういう粋な大人がよくいた。今や六十歳以上の年齢層においてしか見かけなくなった喋り方なのだけど、たとえばカネコノブオさん(漢字表記に自信がないのでカナですみません)なんかが、そのかっこいい喋り方をしていた記憶がある。西洋人には腹式呼吸で喋る人が多いが、それの鼻にかかった版というか…ブルターニュ風(わかりにくい?)というか…。
今はテレビのアナウンサーが喋るような言葉が「標準語」だということになっている。でも本当のところは、東京弁を含め、各地の独特の喋り方があるだけで、「標準」なんていうぼけた流儀は、本来この国に存在しない人工的なものだ。アナウンサー喋りというのは、オリジンのない浅いものであるだけでなく、マイクロフォンで拾うということ前提の「浅い」(深く響く声でない)喋り方でもあるので、二重に浅いと言えるだろう。みんながその、「テレビ喋り」を真似するようになったせいで、もともとあった腹式の喋り方が絶滅の危機に瀕しているのではないか、とふと思った。
深い声は、よく響く。マイクと関係ない日常生活の中では、やたらとヴォリュームを上げるのではなく振幅というか振動で聞かせる、こういう声の方が気持ちよく伝わるのだと思う。偶然かもしれないけど、この江戸風腹式鼻声で喋る人というのは、体格的にも恰幅がよい(ただ太っているというのではなくて、胴体ががっちりしている)ことが多い気がする。いかにも内臓が丈夫そうなイメージだ。で、その声を聞いていると、なんだか美味しいものが食べたくなるような…――これはカネコノブオ(料理番組をやっていた)からの連想か?
演劇を志すと、まず最初に腹式で喋る訓練をさせられるが、芝居の世界のみならず、小学校なんかでも広くみんなに腹式を教えたらいいのではないかと思う。そうすると、気分のよい話し声に満ちた、より気分のよい社会になるのではないでしょうか。声は大事!(文=目黒条