コンフィー・ブーツ

若い女の子たちの間でボアのショートブーツが流行しているのを最初に見たとき、「モコモコの室内履きが町に進出?!」という違和感を感じたのは私ばかりではあるまい。でも、それにももう目が慣れ、ようやく「かわいい」の文脈の中で安心して?見られるようになってきたと思っていた矢先……
若い女の子優勢の町をいったん離れ、オタク系の場所を歩いてたら、ぜんぜんおしゃれじゃない若い男が履いてるのを目撃! 場末感あふれる庶民の町まで行った際には、オバちゃんが履いてるのも目撃! ボアのブーツは猛烈な速度でおしゃれ文脈から滑り落ち、もはや「楽ちんなら何でもいい」「あったかければ何でもいい」というレベルで、性別も年齢も関係なく消費されるようになったらしい。
ここでわたしは、だいぶ前に見た「キンキー・ブーツ」という映画の中で、女装のゲイの人が太い声で言った「Sex is not comfy!」という台詞を思い出して、可笑しくなり、街中で一人ニヤニヤする。
キンキー・ブーツは、潰れそうな靴工場をニッチビジネスで立て直そうと、女装のゲイの人たちのためのブーツ開発をする話だった。心はレディーでも足は一人前の男だから、普通の女性ブーツが履けない、そんな人たちに奉仕しよう。それで、靴工場の社長が試作品として、単なる「履きやすいブーツ」を作ってしまったら、ドラアグクイーンに「Sex is not comfy!」と一喝されるのだった。直訳すれば「セックスは快適なものではない」、意訳すれば「快適なものなんてちっともセクシーじゃない」というような感じ。(要は、そのゲイの人は「もっと派手でセクシーなものを作れ」と言いたかったわけです。)
セクシーかどうか、という事に限らずとも、人間はいつだって不自然な努力をしなければならない。楽して生きようとすると停滞する。そもそも、文化というのは不自然なものなのだ。
しかし、快適でない、辛い努力を重ねすぎて「もういやだ……こんなのやめたい」と思った頃に、突然なにもかもが素晴らしくうまくいくようになって、全能感と至福感に満たされる瞬間が訪れるものなのだ。コンフィーなファッションに流れている若い人たちよ、「Sex is not comfy!」を座右の銘にして頑張りたまえ。楽ちんは靴だけにしとけ。(文=目黒条