変節

 国が個人の年金データを「書類で保管」方式から「デジタル管理」へと移行させる時点で、システムの変化にうまく対応できずメチャクチャにしてしまった、というのと、エコロジーか食糧問題かというバランスをうまく計れなくて原油穀物の価格が高騰、というのは、基本的に似ているような気がする。要は、コンピューターにしろ環境問題にしろ、専門家に訊かないとよくわからないようなことに関し、一般教養しかない第三者の素人が「大局」から見て(その実いいかげんに?)ナタをふるおうとしても、失敗しやすいですね、ということなのだ。
 換言すると「時代の趨勢」「メディアの変遷」などのスピードが速すぎ、個々の問題が専門的になりすぎ、全体をバランスよく見るのが難しい時代になってしまったということだ。
 ここで唐突に、「これはまさに、『ディープスロート』だ!」と思うわたし。
 ちょっと前に、見逃していた『インサイドディープスロート』というドキュメンタリーをDVDで見たのだけれど、アメリカにおけるセクシャル・レヴォリューション前後の時代の変遷というものをきっちり論理的に見せていて、とても面白い映画だった。時代の変遷をまとめると、次のとおり:「ポルノ映画で性享受の自由を主張」→「保守派の締め付け」→「ポルノだって所詮女性搾取じゃないか!というフェミニズム的反論の盛り上がり」→「ビデオ時代以降、ポルノ映画は急速に役割を失い、即物的側面を強調するメディアだけが’性欲ビジネス’的に残る」。
 さらに面白いと思ったのが、ディープスロートに主演していた女優さんのこと。性アイドルとしてさんざん人気者になったのだけど、あとになって、わたしは搾取されていたと言って被害者となって売り出し?たりなど、時代の変遷に合わせてしっかり「変節」しまくり。たぶん、基本的にはあまり深く考えていないけど「時代に乗っかる」というような勘はある、という人だったのだろう。「変節」して立場を変えることが、彼女にとって唯一の処世術だったんだろうな、と思った。フレキシブルに生きることで、心の健康を保つ、というような感じか。
 今でも、ある世代以上の人々は特に、主義主張に一貫性を持つことを尊び、「変節漢」とか「ひよる」とかいうことを極端に軽蔑する心性を持っているようだけれども、今はもう「変節する」と言わず「フレキシブル」とでも言わないと、やっていけない時代なのかもしれない。まるで彼女(その女優さん)のように変わっていくことこそ、実は健全に生きる秘策なのかも。
 意見をコロコロ変えましょう、という意味では、もちろんない。ただ、テクノロジーの変遷に誰もがあれこれ振り回される時代において、「大局から見る」ということの論拠がはっきりしなくなりつつある――それを自覚せねばということ。総合的にジャッジする人、ジェネラリストの足元はもうグラグラだ。また一方で、専門家の立場も危うい。たとえば「性革命」を標榜する専門家になっても、その意見はあっという間に時代から必要とされなくなる。今もてはやされている専門分野はすぐに分派に追い抜かれる。
 これから必要とされるのは、教養とか専門知識とかを持った上で、フレキシブルに「変節」しながら、いろいろなものをブリッジできる人なんじゃないかという気がしている。(文=目黒条