新聞問題

 もうずいぶん前から「新聞を宅配でとる必要はもうないのではないか?」と思っていた。朝に新聞を読むというのが生活習慣(←思わず「病」をつけそうになったが思いとどまる)になっている世代なので、とりあえず新聞とっていて毎朝広げるのだけど、目にするのは昨夜ネットのニュースで既に読んだことばかり……英字紙からの引用なんて、昨夜どころか一週間前に読んだものだったり、ということがザラ。そのように、新聞でニュース記事を読む行為に関しては「デジャヴュ感を味わう」とか、「復習」とかの意味しかもうないのは周知のとおり。まさしく「USAイエスタデイ」状態。
 でも、でも、新聞には劇評とか書評とかも出てるし、たまには識者のオピニオンなんかで読む価値あるものも出てるし、新聞広げなかったら出会わないであろう雑誌の見出しを見るのも面白いし(健康雑誌の見出しとかって、奇想天外なので結構楽しんでます)、新聞やめるのは知り合いの新聞記者の方々になんだか申し訳ないようだし…などとウダウダ言って、「新聞やめる」という決断にはなかなか踏みきれない。昔「新聞は三紙とってます」とかって言うのがインテリの証みたいな感じがあった、そういう時代の尻尾をどこかでひきずっているのですね。要は「新聞とってません」と言うと自分がバカになったような気がするんじゃないか、という、完全に気分の問題。
 この優柔不断にけじめをつけるチャンスが「引越し」。おりしも「字が大きくなりました」なんて、新聞側からまるで「新聞は老人向けメディアということに特化しました」と言わんばかりの宣言がなされたところ。このようなことがいろいろ重なると、さすがにもうわたしが取り続ける必要はないのでは?とも思えてくる。いっそ今とってる朝○新聞はやめてジャパン○イムズだけとってもいいし…? でも、そうするとますます日本語読まなくなって、緊張感を失ったときのル○大柴喋りみたいなのが悪化する…? 今すごく悩んでいます。延々と悩み続けています。(文=目黒条