アコースティック

 昨夜の『キャバレー』に続き、今日はパパ・タラフマラの『トウキョウ←→ブエノスアイレス書簡』を拝見。まったく違う性質の二つの作品だけれど、それぞれに関しいろいろ深い思いがあるので、もし何か書こうとするなら大論文になってしまうだろう。だから、ここで正面から論じるのはやめておくけれど、どちらも生バンドあるいは室内楽という、アコースティックな音楽が大きな要素になっていたことに注目。『ドラクル』でも十二音風の弦楽四重奏を生演奏する楽団が登場していた。偶然、続けさまに三つ、演劇と音楽生演奏のコラボレーションに出会ったわけだが、あながち偶然とは言えないかもしれない。つまり、コンピューターによるコラージュのような音楽というものが飽和点に達してしまった今、生身の人間の演技と合うのはやはりアコースティック音楽なんだ、という再発見・再確認が舞台芸術においてなされる、そんな時代なのかもしれない。パフォーマー演奏家が互いを搾取することなく、演技と音楽の両者が本当の意味で芸術的に融合するのは大変むずかしいと思うのだが、今日の『…ブエノスアイレス書簡』という作品ではそれがきちんと成立していたと思う。
 少し話はそれるけれど、コンテンポラリーダンスにおける最大の「革命」は、リズム(拍・ビート)にではなくメロディーの方に振り付ける、という技法だったのではないかと思っている。それと同じようなことが文学でできないか、ということを今一生懸命考えている。(文=目黒条