CODE46 

CODE46』。信じて正解ウィンターボトム監督。わたしはディストピア(dystopia)研究家かってぐらいディストピアもの大好きなのだが、04年にこんなによく出来たディストピアものを観られるとは、ありがたき幸せだ。シネセゾン渋谷では「特別オールナイトで『アルファヴィル』『未来世紀ブラジル』『ガタカ』も上演します」とかアナウンスメントが流れていたけど、これらディストピア名作シリーズにも『CODE46』は勝った気がする。
 『ブレードランナー』から、ゆうに二十年は経っている今、近未来を見せるための仕掛けは出尽くしてしまった感がある。だから、21世紀になってから近未来モノをやろうという場合、巨額の予算を投じてCGまみれの映像を作るなどという方向に流れるおそれがある。でもウィンターボトム監督は、思慮分別に富んだ頭のいい人なので、そんなことはしなかった。たいしてお金をかけず、鬼面人を驚かすような近未来の新機軸なんかはあえて考えなかった。そのかわり、遺伝子的に呼び合うような、不思議な男女の出会いに焦点を絞った。「近未来」のステレオタイプ――人間を指紋で管理する管理社会、無機的な大ビルディング、無国籍化、スラム化――などは、いわば近未来のお約束として観客の頭の中に既に埋め込まれているはずなので、今やちらりとその断片をのぞかせるだけで、みんなが一瞬にして了解してくれ、自主的にイメージを広げてくれるだろう。だから「お約束」のステレオタイプも、カードを見せるようにあっさりと、上手に、便利に利用しよう。そんなコンセプトと見た。
 殺菌消毒されたようなクソ面白くもない近未来社会で、突然生まれた「禁じられた愛の衝動」。この情動を描くことにフォーカスしたところが、この作品の素晴らしいところだ。でもハリウッドの恋愛映画なんかとは違い、サマンサ・モートンははっきり言ってdykeっぽい感じだし、ティム・ロビンスも普通のおじさんのイメージだし、全然セクシーな男女関係って感じじゃない。でもこの二人がものすごく素晴らしい演技をするのだ。遺伝子的に近いものと交わりたいという、近親相姦タブーの甘き誘惑に、どうしようもなく突き動かされてしまったギリシャ悲劇的な二人。クールな音楽がこの情動をアップさせる。クールクール、遺伝子交感テスト!
 『CODE46』の「管理社会」は、現代の階級差拡大社会をそのまんま反映した、戦慄的なものになっている。城壁の中に一部特権階級がいて、その「外部」にはその下の階級がウジャウジャしている。高飛びして、中近東かどっかの国に逃げ出してもそれで管理社会から逃げ出せるわけではなく、たちまち足がついて、連れ戻されてしまうのだ。もうシェルタリング・スカイもできないし、ランボー(詩人の方。スタローンではなく)にもなれないということだ。このあたりが、ひとつの全体主義国家が刑務所のようにあって、そこから脱走する可能性もひょっとしたらなくはなさそうだった旧来のディストピアとは違うところだ。世界中どこにも、逃げる場所なんてない!
 管理社会の中で突如感じたインセスト・タブーの衝動。でもそれは、何もかもがあるべき正しい姿で整理されてなきゃいけない管理社会の中では、明らかな「誤作動」だ。誤作動でしか生の強度を表現できない、もう末期的に悲しい人間の姿が描かれているのがこの映画だ。
 現代の状況は洒落にならないほどこの映画に似ている。東京でだってあちこちで監視カメラが見張ってる!というレベルの話から、世界の人口問題にいたるまで。少子化なんて言っているのは主に先進国であって、いわゆる発展途上国とかカトリックの国々とかでは人口爆発しているんだ、という構図をこの映画を観ていたら思い出してしまう。極端な言い方をしてしまうなら――小さなガラスの箱の中でWASPとそれに準ずる先進国の金持ちたちがクリーンに快適に暮らしてて、そのガラス箱の周りにその他大勢の人々がウジャウジャたかって、ガラスの中をじっと睨みつけているような……世界は、これからどんどんそういうものになっていくだろう。(文=目黒条