ワンピ? ドレス? 言葉選びでどこに着地するか

おしゃれに時間を割いてこそ女性なのだ、という考え方もありましょうが、わたしは時間を食うこと(仕事以外で)が全般的に大嫌いで、「今日は何を着ていこうかなー」という時間はなるべくなら節約したい派。…ということで、最近「ワンピしか着ない」という主義を発明、実践しています。これで、服のコーディネートを考える手間がだいぶ省けます。
日本語?で「ワンピ(ース)」と言うと、なんとなく少女趣味なものを連想しそうですが、そういうものを指し示したいのではなく、英語で言うところのdressを着ようということです。
しかし「ドレス」というとまた正装とかフォーマルを思う人もいるので厄介…。そういうのではなく、要するに「ひとつながりの服」と言いたいのです。
ブログの記事ひとつ書くのにおいても、言葉選びは本当に難しいですね。
ここで急に思いついて、脱線。:翻訳をお教えしていて思うのが、言葉選びの自己基準をどこに置くかは、あくまで「中庸がいいですよ」ということ。でもその中庸がどのあたりなのか、説明するのが凄く難しい…。
国語学習初期段階においては、多くの人が精神的に外国語寄りになりがちです。つまり、どこか外国語や外国文化の「味方」になり、なんとなくそっちに偏っていきそうになります。
しかし、しばらくすると、いろいろと不安になって「自国語としてのアイデンティティ」を狂ったように追求し、近代文学などにその「正しさ」を求めようとするようになります。これが第二段階。
そして、さらに先に行くと、ちょっと「宇宙人」化していきます。自分にしかわからない世界で別にいいや、というかそれこそわたしの文だ、などと思うようになるのです。でも、あまり極端に宇宙人化するのは、翻訳者としたらちょっと危険なので、あくまでも凡庸なところを保つ方がいいのです。それが中庸ということかな。…こういう観念的な話はあまり「実用的」な感じがしないので、フェローさんでは控えているのですが。(文=目黒条