不思議で重要な人々との出会い

本のゲラを見ている最中、ふと思い出されてくるのが、故・丸山圭三郎先生のこと。学生だったわたしに向かって、丸山先生は突然ポカッと「あなたは小説をお書きなさい」とおっしゃったのだった。そういうことがしたいですと私は人前で言ったこともなかったし(当時は今よりもっと秘密主義な人間だった)、先生もわたしに才能があるか否かなど多分ぜんぜん考慮に入れてなかったんじゃないかと思う。いわば何の根拠もなく、目の前の若い者に「あなた、やってみなさい」と託宣をくださったわけだ。そして今三冊目の本のゲラを見ているわたしは、先生の言ってくれたとおりのことをまさしくやっている。
人生で何人か、こういう不思議な人々――なんの根拠もなく才能を信じてくれた人たち――と出会った。「なんの根拠もなく」というところが不思議ポイントで、中にはわたしの文章などほとんど読んだこともないのに、ポンと何かチャンスを与えてくれたり、チャンスとなる重要な言葉を授けてくれたりした人もいる。名もない若僧にそんな風に目をかけたって一文の得にもならないのに、あえてそんなことをしてくれた、社会的成功者の人たち――その人たちのおかげでここまで歩いてきた。そして今もそういう人たちが次々と現れ、わたしを支えてくださっている。
だからそのご恩返しにわたしも、自分が出会った若い人の才能を「なんの根拠もなく」信じることにしている。そういう精神がヨーグルト菌のように、世代を越えて受け継がれますようにという願いをこめて。(文=目黒条