続き・というか今考えていること

 ひとつ前の記事で書いた映画は、たいへんよく出来ていて、素晴らしいパッションを感じたのだけど、しかしながら、21世紀の自分の心にひっかかったのが、「ああ、近代。」という問題なのだった。自分の所属している枠組みから逸脱することができない、というのは無茶苦茶中央集権的だ(そこから脱出できないのは近代文学の限界だから仕方ないけど)。だったら私は、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』の方がいいなと思った。ヘドウィグの方は、すごくマテリアルな世界なので、枠組みを逸脱した情熱への答えとして「肉体を使って錬金術的にブレークスルーすればいいんじゃないの、それがグノーシス派なんじゃないの?」という奇策を出す。こういう方が趣味かも。奇策とか屁理屈の具現化とか。情念を注ぎ込む器そのものを変えてしまうとか。わたしが今書いてるものはまさにこっち方面の追求で、どう考えても大衆的とは思えないけれど、いや、こういうのも資本主義社会の「考えるヒント」にはなるんじゃないでしょうかという気もする。いずれにせよ頑張って書きます。(文=目黒条