インランド・エンパイア

 デヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』を見た。
 人は「非日常」ではなく「リアリティ」を求めて映画館に行くんだと思う。少なくとも私はそうだ。現実より現実的な、自分にとってリアルな世界の感触を確認したくて、暗い部屋の中にわざわざ入っていく。
 デヴィッド・リンチ作品は、私が毎晩見ている悪夢とまったく感触が同じだ。これこそ私の生のリアリティ。だからこれをシュール・レアリスティックだとか全然思わない。かみ合わない会話。殺される恐怖。見知らぬ場所。意味不明な人物。反復繰り返し。完全に隅から隅まで、「自分の夢の録画」という感じだ。世の中の人が悪夢をどのぐらいの頻度で見るのかは知らないが、私の場合、夢の98%以上が悪夢なので(前世で殺人とか何とかいう恐ろしい目に遭ったのかもしれない)、インランド・エンパイアがわかりすぎるほどわかってしまう。この映画が感覚的に理解できないという人がいるなら、その人は「死」がオブセッションになってない幸せな人なんだろう。
 さらに、この作品のすごいところは、リンチ的な美学に関しては微塵も妥協せぬまま、「劇映画」的なわかりやすい筋書きも取り込んだところ。だから、商業映画としても成立する芸術映画になっている。これは言うほど簡単なことではなく、画期的なんだと思う。
 「現実と虚構の区別がつかなくなる女優」という設定も、虚構の世界の作り手であるリンチ監督らしい悪夢で、まったくもって身につまされた。お話にとり殺されるリスクを背負いながらも、自分の悪夢やオブセッションを出し続けずには生きることのできない表現者というのは、なんという恐ろしい存在なのだろう。(文=目黒条