yin/yang

 「陰陽」の話を読んでいて、ふと発見したこと。わたしは長年、自分が本質的には陰気な人間なのではないか、と思い込んでいた。そうでなければ、思春期にディストーションのかかった音楽ばかり浴びるように耳から注入したり、やれジュリアン・グリーンだネルヴァルだバタイユロートレアモンだなどと決して明るいとは言えない本に読みふけったり、日のあるうちからわざわざ地下に降りていって芝居小屋の埃っぽい暗闇の中にゴソゴソと身を潜めたり、等の行為は決してしなかったはずだ…と思っていた。
 でも、この年になって急に、それが勘違いだったと気づいた。そういうのは本質的に陽気な人間だからこそできたことなんだ!
 本質的に陰気な人が暗い音楽・暗い文学などに浸っていたら、あっという間にその陰気さに取り憑かれ、潰されて、入院したまま二度と社会復帰できぬ人となるのが落ちである。実際、大昔の友達でドラッグ更正施設に入ったまま音信普通になった人とか、精神を病んでしまった人とか、そういう方々はいっぱいいる。たぶん、陰気寄りの文化に関わりながらも生き残っている方の人は、すごく陽気な人なんだと思う。根が底ぬけに「陽」だから、どんなに「陰」を注ぎこんでも、あーちょうどバランスいいや、ってぐらいな感覚で普通に生きていられるのだ。
 今やっと気づいたけど、この実感から考えると、もっともらしい伝記みたいなものはほとんど眉ツバかもしれない。「自分が生まれた時のことを覚えている」とか堂々書いてた文学者なんて、無茶苦茶に陽気な人だったんだろうし、鬼面人を驚かすことをしでかしたのも「極陽」の爆発的発露だったんでしょう、きっと。(文=目黒条