鳥ジジイ

 中国に関するエッセイを読んでいたら、十年以上前に北京に行った時に見た「鳥ジジイ」たちのことをふと思い出した。早朝、公園など野外に、おじいさんたちが自分の飼ってる鳥をカゴに入れて持って集まってきて、みんなで鳥自慢をしている光景。わたしの目にそれはたいへん不思議に映った。
 しかし、考えてみたら昔の日本にもそれに近い文化があったのかもしれない。その片鱗なのか何なのか、わたしが小学生ぐらいの時は、近所に九官鳥を飼っているおじいさんが複数いた。看板屋の店先に、肉屋の店先に、人間が口笛で調教した「ホーホケキョ」をまねする九官鳥がいた。そして、どれも名前は必ず「九ちゃん」だった。所有者は絶対におじいさんであって、若い人ではなかったし、おばあさんでもなかった。セキセイインコやカナリヤを飼う文化とは明らかに違うものだという感じがした。
 今、東京の街を歩いていて九官鳥を飼っているのを目にすることは、まずなくなったように思う。おじいさんがホーホケキョと調教するあの文化は、滅びてしまったのだろうか。今思うと、あれはペット文化とは全然別のものだった。あの九官鳥たちは口笛の真似という特殊な芸を仕込まれる、ちょっと人工的な存在で、愛玩動物というより「盆栽」に近い世界観で珍重され、飼われていたのかもしれない。…なぜ今こんなことを一生懸命考えているのか、自分でもよくわからないけれど、なにかのヒントになりそうな予感。(文=目黒条