アンデルセン・プロジェクト

 『ウィー・トーマス』と並び、今週必見の芝居、それはロベール・ルパージュの『アンデルセン・プロジェクト』(世田谷パブリックシアター)。きのう観てきて心の底から200%震撼。これはもう、お金がなかろうが数日間絶食してでも絶対に観てください。感動、感涙、必至。というか、万人にそのように受け入れられるような芝居ではないだろうけれど、わたしと趣味が合いそうな人は絶対に大好きなはず。わたしはあまりに面白すぎて終演後しばらく呆然自失状態だった。
 アンデルセンについては、前にお仕事で調べたことがあり、日本で流通する「童話」イメージとは裏腹に、作家本人はかなり変態っぽい感じの人だということをわたしも知っていた。ロリコン…とまではいかないけど、ちょっと少女っぽい人に憧れ、でも絶対に手は出せなくて、生涯女性とのつきあいなし!早い話が一生童貞。そのせいか、彼の童話の中で、人は性的欲望を叶えられることが絶対になく、欲望を抱いた者は必ず罰せられてしまう。
 そんなアンデルセンを重ねたようなカナダ人の主人公が、パリのオペラ座に、アンデルセン作品を子供のためのミュージカルにアダプテーションしてくれと依頼され、パリにやってくる。お金節約のため、友人の留守宅に滞在するが、そこはビデオボックスっていうのか?自慰部屋みたいな風俗店の上にあるアパート。(オナニストアンデルセンの謂である。)仕事を依頼してきたオペラ座の制作のオヤジも、ここのブースに入り浸るはめに。結局、依頼された主人公も依頼した側も、性的に満たされない人たちだということがわかってくる。
 性がテーマなだけではない。パリ万博を見に来ていたアンデルセンの驚きが、彼の童話『ドリアーデ』というパリに移植されたマロニエの木の物語を通じて舞台上で再現される。ヨーロッパ辺境から見たら大きな憧れの文化都市パリ。辺境の文化人の、パリへの複合感情が描かれる。すごい憧れ、すごい好き。でも、辺境のわたしはここでは絶対に認めてもらえない。いつもふられてしまう。
 十九世紀のロマン派的な気分と、異国情緒&センスオブワンダーのクロスロードだったパリ万博から、一気に二十一世紀の、不穏なヒップホップビートが響く移民だらけの町、パリへ。フーディーみたいな若者がペイントスプレーを持ってグラフィティを描いている。あなたは何を思うだろうか? ここに芸術の、世界の、すべての問題が詰め込まれてないだろうか? わたしたちはみんな袋小路に入って、小さなビデボのブースに入って、近視眼的になって窒息死していくしかないのだろうか? 富める者は最後に貧しい移民の若者に襲撃されて死んでいくしかないのだろうか? あとはドラッグ? アンデルセンの話の中で唯一生き生きしていたのは動物たちだけど、今じゃ犬までヴァリアム飲んでる世の中? オペラ座は宙吊りになって機能停止? 着メロでしかバッハを聞く人もいない? 花の都だか文化の都なんてどこにもありはしない? 
 カナダ人の芸術家は、どこか底暗いところがあって好きだ。デイヴィッド・クローネンバーグも確かカナダ人だし。作家のマーガレット・アトウッドという人もいた。ロベール・ルパージュを観るのは、『ニードルズ・アンド・オピウム』や『太田川七つの流れ』(どっちが先だったか忘れた)以来だけど、相変わらず大好きという以上に、本当に尊敬すべき芸術家になっていて、ああ観てよかった。ありがとう。ありがとう。客席から立ち去りたくない、ずーっとずーっと拍手をおくりつづけたい、という気持ちになった。(文=目黒条