病院

 この前、ジョージ・オーウェルのエッセイ「貧乏人はどのように死んでいくか」というのを読んでから、わたしは軽い医療恐怖症になってしまったらしく、近所のS内科に花粉症の薬をもらいに行くことさえなんだか厭になって、グズグズ引き延ばしている。…いや、S先生は何も悪くないんだけど、そのエッセイが実に戦慄ものだったのだ。パリにいる時、オーウェルが肺炎になって、公立病院(Ⅹ病院と名前を伏せてある)に入院する羽目になり、大部屋に患者がぎっしり並んだ中に投げ込まれてさんざん恐ろしい思いをする。手を伸ばせば隣の人が届くような密度でベッドがひっついていて、誰かが死んでも朝まで放りっぱなし、治療は、たまたま見回りにきた医師の目にとまった人だけに、偶然のようになされるだけ。刑務所もかくや、という感じだけど、オーウェルによれば、「これは19世紀の状況そのままだ。19世紀の病院は、お金を払わずに収容されている貧乏人には麻酔なしで手術を行うのが当たり前とされていたし、貧乏人は手術の実験台などに自由に利用できた」という。
 19世紀の病院と現代の病院を一緒にしたら怒られるだろうし、オーウェルのエッセイだって1940年代の話だ。現代医療には恐怖とサディズムの要素は一切ないと信じたい。でも、ほんのちょっと前まで病院なんてそういうものだったんだ、と思うとなんとも恐ろしい。フローベールボヴァリー夫人にも、ドクトル・ボヴァリーにえび足の「手術」をされて壊疽を起こしてひどく苦しむ下男の話が出てきたし。…別にこういうことを言って、医療を中傷しようとは思っていません。ただ、こういう野蛮時代の犠牲の上に、現代の医療は成り立っているんだなあ、とは思う。(文=目黒条